東京高等裁判所 昭和31年(ネ)1334号 判決
(一)被控訴人松丸は昭和六年頃から本件地上に存在していた前示罹災した長家建一棟中の一戸の賃借人であり、昭和十八年頃控訴人が右地上建物を前所有者田崎某から買い受けてその敷地である本件土地を訴外梅岡から賃借し、従前の借家人等に引き続き地上建物を賃貸することになつたのであるが、右家主の更替に際し、控訴人の長男である訴外剣先晃は、右田崎と同道して被控訴人松丸その他の借家人等方に今度自分が家を買い受けて賃貸人となつた旨挨拶に廻り、爾後家賃を訴外巣鴨信用組合に取り立てさせてこれを受領していたものであり、控訴人は耳が遠く足も不自由なところから、右貸家や借地(本件土地)の管理等については一切その長男である剣先晃に任せ、右晃は事実上自己が権利者である如く支配してきたので、松丸その他の借家人等も右剣先晃自身が賃借家屋の貸主であり、その敷地たる本件土地の借地権者であると信じていた。(二)ところが昭和二十年四月の戦災で地上建物が焼失し、被控訴人松丸は東京都内駒込の知人方に避難していたのであるが、その後本件土地を借り受けて家を建てたいと考え、地主である訴外梅岡方に借地の交渉に赴いたところ、同訴外人の番頭某(当審証人梅岡平七の証言によれば、その頃同家の貸地について一切の事項を担当し昭和二十三年中死亡したという塚田某であると思われる)から、前借地人剣先の承諾書を持参するよう言われたので、昭和二十年九月頃被控訴人松丸の意を受けたその妻よしは、その頃茨城県下に疎開していた剣先晃が時々立ち寄ると聞知した東京都内板橋の家(晃の父である控訴人の家であるが、控訴人は当時他に疎開して此処には起居していなかつた)に訪ねて行つてその連絡方を依頼して置いたところ、その後同年十月二十三日頃(乙第一号証の日附参照)漸く晃と面談し、同人に対し、地主から本件土地を借りて家を建てたいと思うから承諾書を書いて貰いたい、なおこれは地主の要請によつて持参するため必要である旨を告げて、書面の作成方を懇請したところ、右晃は自分の方では家を建てるつもりはないからといつて、「元家主剣先晃」と自署し名下に捺印ある乙第一号証の承諾書を作成(ただし同号証中の前示「敷地一四〇坪」との記載部分を除く、右部分の手蹟が晃の自筆でないことは被控訴人松丸代理人の認めるところである)交付した。(三)被控訴人松丸の方では地主に右承諾書を持参したところ、なお念のため地主と剣先との旧賃貸借証書の返還を受けてこれをも持参すべき旨注意せられたので、右手続を執るべく奔走したが連絡がつかず、重ねて昭和二十年十二月一日頃茨城県下の晃の疎開先宛に速達便で同趣旨の要請をしたものの、番地不詳のため不送達となつて返戻され、ついに賃貸借証書の返還を受け得られなかつたけれども、地主梅岡においても前示経過を諒承し、既に晃から前示のような承諾を得て旧来の賃貸借が解消した以上、強いて契約証書の返還を受けるまでもないとして、昭和二十一年一月二十日頃被控訴人松丸から、旧借地人剣先の未だ支払をしていなかつた昭和二十年三月分以降の賃料の支払を受けて、同被控訴人との間に本件土地につき賃貸借契約を結ぶに至つた。(四)一方控訴人は戦災後前示借地の件に関し従前の如く一切を長男晃に一任したまま他に疎開し、晃は前示妻子の疎開先である茨城県下と父たる控訴人の前示都内板橋の留守宅を往来していた位であつて、戦災後一時は混乱の世相にあつたとはいえ、前示借地の使用や賃料のことに関し、地主等と交渉をするのにさして至難であつたと認められる事情がないにも拘らず、晃も控訴人も爾来一両年もの間具体的にその挙に出でた事跡の徴すべきものなく、(この点につき証人剣先晃はその後である昭和二十二、三年頃数回元地主梅岡を訪れたように証言しているが、いずれにしても前示の期間放置していたことに変りはない)、昭和二十七年十月頃になつて本件借地権保全のため仮処分の執行をなすに至つたものである。
以上認定の諸般の事実を総合考覈するに、剣先晃が、被控訴人松丸の代理人として、また一面当時の地主梅岡の委嘱をも受けて折衝に当つた松丸の妻よしに対し、前示の如き事情を告げられて前記乙第一号証の如き承諾書を作成交付するに至つた所以のものは、単に借地の一部に仮建物の建築を許容したに過ぎないと解すべきでなく、要するに被控訴人松丸京において地主梅岡から直接本件土地を賃借するにつき支障なからしめんとするにあつたものと認むべきであつて、右書面の文面自体には本件借地権に関し松丸に対する権利の譲渡とか、地主に対する権利の放棄とかいうような明白な文言の記載はないが、法律的にみればかかる権利の譲渡ないし放棄の意思表示があつたものと解すべきである。そしてかような意思表示をするについての剣先晃の権限について考察するに、右申入を受けた当時控訴人は他に疎開中で、特に明確にその承認を経た事跡の徴すべきものはないけれども、前示認定の諸般の事実に照して考えると、包括的にかかる権限をも附与せられていたと推認できないでもないのみならず、仮にそうでないとしても少くとも右晃は、本件借地に関し控訴人から一切の管理権限を与えられていたことは明白であつて、かかる処分行為をなすことはその権限踰越行為と目すべきであるが、前示認定のような事情により、被控訴人松丸の方では剣先晃を本件土地の借地権者と信じ、且つ晃も父たる控訴人から本件借地のことに関し一切を任せられ、恰かも自己が借地権者の如く振舞い、控訴人は戦災の前後を通じ永くこの状態を放置してきたのであるから、被控訴人松丸においては晃に前示処分行為をなすについてもその権限ありと信ずべき正当の理由があつたものと謂わなければならない。尤も前示松丸よしに対し、旧借地権者との折衝を委嘱した地主梅岡としては、賃借権者が晃でなくその父控訴人であることを知つていたと解すべきは当然であるけれども、この場合地主としても当時における前示認定の諸般の事実に徴すれば、罹災跡の借地権の放棄を受けるにつき右晃にその権限ありと信ずべき正当の理由があつたものと謂うを妨げない。
(齊藤 坂本 小沢)